茨城、福島、宮城、岩手と
太平洋沿岸を北上する旅をしてきた。
心のどこかを毟られながら、
それでも逃げずに向き合ってみた。
国道6号の緊張感。
乱立するクレーンと排気筒。
除染作業中の幟旗。
広大な更地とうずたかい盛土。
行き交うダンプと粉塵。
破壊されたままの校舎。
宙に浮いたレール。
ぱっくり割られた防潮堤。
新しい道と失われた橋。
塩害や火災で切られた樹々。
復興商店街の猫。
津波ここまでの表示。
おびただしい数の仮設住宅。
そして変わらぬ海。
誰にも愛でられることのない
福島の桜も、もう満開だ。
東北へ行ってらしたんですね。復興の様子を感じられたでしょうか。
返信削除いつも忙しそうにしてらっしゃるおふたりなのに、よく決断されましたね。
私も震災前に福島や宮城に行ってるので、もう一度訪れてみたい、と思っています。
行って少しでもお金を落としてくることが大事じゃないかと思うんですが、いかがでしょうね。
>カノンさん
返信削除>行って少しでもお金を落としてくることが大事
まさにそう思って出掛けました。
世間的年度末仕事が片付いてスケジュールを空けられたので、
これ幸いと、宿も走りながら決めるような気ままな旅でした。
復興の様子は……イビツでしたね。
かさ上げしてまでここに住み続けることが本当に正しいのかと
考えさせられました。
> かさ上げしてまでここに住み続けることが本当に正しいのか
返信削除あの時の津波はこちらの海岸沿いにも相当の被害があって大変でした。
その後、時々野鳥などを探しに海岸沿いや港を訪れているのですが、
そのたびに、あのTV報道で何度も観た光景が思い出されて、そこにいたたまれない気持ちになります。
でも、そこで生活している人々は何も変わらず、生活しているように見えるんですよ。
ほんとは、不安なんだけど、それを押し殺すようにそこで変わらず生きている、そんな感じじゃないのかなぁ、と想像しているんですが、直接なかなか聞けることじゃないのでわかりません。
東北の人たちとの会話の中で何か、印象に残ったことがあれば教えてほしいです。
ふるさとの土地や家への執着はあると思うけど、お金さえあればあきらめて、新天地を求めて故郷を離れることもできるような気がします。
でもそれが出来ないのは、そういう場合は「復興」とは呼べないからお金は出せない、という国のやり方かな、と思いますね。
いろいろ考えさせられますね。maniさんたちの旅行のおかげです。
>カノンさん
返信削除地元の人の意見によって、陸に上がった船や破壊された建造物など
震災の遺構とも言うべきさまざまなものが解体されつつあるけれど、
本当に「今を生きる人」だけの意見で決めても良いものだろうか、と。
確かに震災の痕跡を見るのはつらい。でもあのインパクトはすごい。
石碑などでは伝わらなかった津波の凄まじさを後生に伝えるため、
残しておいた方が良かったものもたくさんあるのではないか……。
そう仰っていた方がいました。
今回、想定外のことがたくさん起こったにもかかわらず、
また「想定」して、あくまで技術力で対抗しようとしている。
もっと違う共存の方法があるんじゃないかと思いました。